タイピング中級者の陥りやすい交互打鍵という「罠」

アドカレって、どういう書き始めがいいんでしょうか。よくわかりませんので、いつも通りのスタイルで行こうと思います。

今回は配列に関する話、主にqwertyに対する誤解についてです。ちなみに文字オンリーです。理由は最後に書きます。というか今回の記事で一番重要なのは最後の段落なのでそこだけ読むのがお勧めです。

中級者と銘打ってはいますが、どちらかといえば、qwertyで伸び悩んでいて、Dvorakとか親指シフトに手を出してみようかな…? みたいに悩んでる人向きです。

 

音声認識の発達が著しいここ数年、twitterで頻繁に見かける主張があります。要約すれば音声認識の方が速いのだから、タイピングに拘っている人はかわいそう」というものです。まあここで音声入力の是非について論じるつもりはありません(オフィスのそこかしこでデバイスに向かってボソボソ喋ってる光景を許容できるのならばそれでいいと思います)が、何よりも面白く、そして一人のタイパーとして不愉快なのがこういった主張にぶら下がっているリプライです。すなわち「そうですよね、qwertyなんてクソ配列使ってる人はかわいそうですよね」というアスペ極まりない意見です。

さてそういった人のホームを見にいけば、大体はDvorak配列や親指シフト系列、あるいは独自の配列を使っています。そして一部の人が声高にqwertyはクソと叫ぶわけです。僕よりも文字入力がはるかに遅いにもかかわらず、です。

 

愚痴っぽくなってしまいました。真面目な話をします。

こういった方々が共通して主張するのは、「qwertyは左手の使用率が62%」「Dvorakは交互打鍵が基本なので速い」というものです。ちなみに見た中で一番面白かったのは「qwertyは母音の60%が右手にあり、バランスが悪い」というものです。Dvorakは100%左なんですけどこれはバランスいいんですかね。わかりません。

まず左手の使用率が62%、これは英語の話です。そもそもckzjfhの打ち分けもあるので、一般的日本語におけるデータは持っていませんが、日本語1万文字を打った時に左手の使用率は大体44%であった、という研究があります (kouy, タイピング Professionals, 2011, C81)。一瞬で論破してしまいました。いえ別に論破が目的というわけではありません。というか使用率なんてどうでもいいのです。疲労を考えても、疲れる動きが少なければそれでいいのですから。

 

重要なのはここからです。タイトルにもある交互打鍵の話です。先の書籍(tomoemon, タイピング Professionals, 2011, C81)によれば、過去の研究(Wiley, 1978)によって交互打鍵 (133ms) は同手連続 (162ms) よりも速いというのが示されているらしいです。これが1932年にAugust DvorakDvorak配列を提唱したときから一世紀近くにわたって続く交互打鍵史上論のすべての根拠となっています。そして世の中には「交互打鍵の割合」なんていうものを基準にした謎の配列スコアリングシステムなんてあるわけです。

 

さてここで一つ考えてほしいのが、qwertyにおいて「こせこせ」と「どすどす」はどっちのほうが打ちやすいかというものです。まさかタイパーの方で「どすどす」を選ぶ人はいないと思います。

でも考えてみてください。この二つのワードはともに8打鍵で、手の交代が「こせこせ」は3回、「どすどす」は7回なので交互打鍵至上論からすれば後者の方が圧倒的に打ちやすいはずです。Wiley, 1978を信じるならば「こせこせ」が458kpm、「どすどす」が516kpmと計算できて後者の方が速くなります。スコアリングシステムならきっと「どすどす」のほうがいい配列だと判断してくれます。バカみたいですね。

 

つまるところ、これらのデータは、タイピング上級者の観点からすれば同手連続のコストをあまりにも大きく見積もってしまっている点に問題があるのです。

 

何故そうなってしまうのか? 答えは簡単です。交互打鍵の速度は初級者でも上級者でもほとんど変わらないのに対し、同手連続はタイピング速度があるにつれどんどん速くなるからです。分かりやすいのは以下のランキングです。

AとBをただ連打する | マイタイピング 【無料タイピング練習サイト】

これを見ると、タイピングそのものの速い遅いにかかわらず、だいたい600kpmくらいは誰でも出せて、人によっては1200kpmくらいは出るということになっています。しかしここにいるほとんどの人たちは、普通の文章では600kpmなんてとても出せないと思います。

一方で普通の日本語で800kpmくらいを出せるタイピング上級者に同じことをやらせてみると、これもまた大体700~1200kpmくらいに分布します。あんまり上昇が見られませんね。

もちろんこれは交互打鍵というエッセンスそのものずばりを抜き出しすぎている上に、同鍵連打という別のリミッターがかかっているのでこれをもってして交互打鍵の速度は上昇しないというわけではありません。上級者の中でもさらに最上位層となれば、交互打鍵はものすごく速いです、というかここの差で実際の打鍵速度の差がついてきているわけです。しかし上級者でなくてもそれだけの速度を出せる人ももちろん世の中には存在するのですね。

 

話を戻して、タイピング上級者において同手連続がどう扱われるかについて考えます。「こせこせ」の場合kとo、sとeはそれぞれほとんど同時に打鍵されるでしょう。実質コストゼロです。つまり「こせこせ」は「ksks」とほぼ一緒のタイムで打ち切れて、かつ文字数が2倍なので速度も2倍で算出される素晴らしいワードということです。

もちろん、同手連続でも「うんぬん」とか「樹木希林」とか「沢田がわざわざざわざわ騒ぐ」とか泣きたくなります。このあたりの話は複雑になりますので次回に回します。

 

 

ここまでの話で、交互打鍵が必ずしも最速ではないというのは分かっていただけたかと思います。少なくとも「こせこせ」と「どすどす」に関しては交互打鍵でないほうが速いです。そしてこれは、タイピングを多少たしなむ人ならば誰でも承知できているものだと思います。

ではなぜ、タイピングを多少たしなむような人に限って交互打鍵優先の配列に流れるのでしょうか? ここからは完全に僕の想像の話になります。

 

まず第一に単純に速さを求めてないからです。一番わかりやすいです。別にタイピングは速さを求めるだけのものではありませんので。ただし本当に最速を目指しているのなら、考え直していただきたいです。

 

そして第二に、人間はマウントを取りたがるためです。「お前は知らないだろうが俺の使っている配列はお前よりもはるかに効率がいい」というのは、マウントを取る上で最高の材料です。幸福物質ドバドバでしょうね。そしてその配列がマイナーなものであればよりマウントによる満足度は上がりますし、そのうえで相手に助言をするという形を取れば良心も傷まず、「布教を行っている」というかつての十字軍かのような効用が得られるのです。

自分の中での明確な根拠をもって世間一般に言われていることを否定するというのはとても魅力的なんですね。それは僕がこの記事を書いている理由でもあります。それがどれだけ客観的に見て不適切な根拠であっても、自分の中では正しく、世間は間違っているのですから。

 

さて最後です。調べても出てこなかったので、実はそういうこともないのかもしれませんが、人間は規則正しく並んでいる方が密度が高く感じる傾向にあるような気がします。

完全な交互打鍵では律速が常に手の交代にあるため、打鍵音が規則正しくカタカタカタと並びます。一方で、同手連続の同時押しを含む打鍵では、打鍵音が汚く、ガダッガダッガダッとなりがちです。

タイピングに特化して言い換えれば、「高速打鍵において、打鍵に空白ができるのを恐れている」ということです。1秒に1回、4打鍵0.25秒に1回、1打鍵を並べたときに、後者のほうが速いと感じているのではないのでしょうか。あるいは規則正しい打鍵音を聞いて、俺はこんなにもタイピングが速いんだ!と陶酔しているのかもしれません。このあたりは本人に聞いてみたいところです。

 

 

ともあれ、ここまで3000文字以上も費やしてふわふわとした議論をさんざん広げてマウントをとることをしてきました。述べたのは「交互打鍵が必ずしも最速ではない」というそれだけです。あまりにも長くなってしまったので記事を分けたいと思いますが、その前に一つだけ述べておくべきことがあります。

 

データは、自分の思惑通りに収集できます。そしてその解釈によって、いくらでも自分の主張を補強することができます。

例えばWiley, 1978において特定の人間のデータのみを集めて交互打鍵のほうが速いと結論付けたり、今回の記事で「こせこせ」と「どすどす」のみを比較して交互打鍵のほうが遅いと結論付けたようにです。

正当な手段で収集されたデータは常に正しいですが、その収集目的と、解釈が常に正しいとは限りません。どこまでが確実に言えることで、どこからが著者の妄想(あえてきつい言い方をします)なのかというのを判断できないといけません。本来そのための学校教育なのですが……

ちなみにDvorakが自らの論文内でqwertyをこき下ろし(風説の流布です)、逆に僕がこの記事で交互打鍵をこき下ろしたように、自らの主張を通すため際は、一般的なものを否定する方が説得力が増しやすいです。なので話半分に流しておいた方がいいです。

 うちのボスは、このことを「味付け」と呼んでいます。そして、真に素晴らしい発見や理論、主張は、塩味のみで味付けされるべきであると。